はじめに:製造現場・プラント保全における「温度管理」の重要性と課題
製造業の工場や化学プラントなどの生産現場において、設備の健全性を維持し、安定操業を継続することは最優先のミッションです。どれほど高度な自動化が進んだ工場であっても、それを支える配管や動機器の日々の点検活動が疎かになれば、予期せぬトラブルによる操業停止(ダウンタイム)を引き起こし、多大な損失につながってしまいます。
特に、プラント内で張り巡らされている「トレス配管(保温・加熱用配管)」や「蒸気・温水ライン」は、目に見えないところでトラブルが進行しやすい箇所の代表格です。これらのラインでは、内部の流体が適切に通気しているか、あるいはスラッジなどの異物による「詰まり」が発生していないかを正確に把握することが、設備全体の熱効率や安全性を維持する上で極めて重要になります。
しかし、長年にわたり現場で行われてきた従来の温度点検方法には、効率面、精度面、そして安全面において、いくつかの根深い課題が存在していました。本記事では、当現場が抱えていたこれらの課題を、最先端の現場DX(デジタルトランスフォーメーション)ツールである携帯型サーモカメラ「FLIR Edge」の導入によってどのように解決したのか、その具体的な軌跡と導入効果を詳細に解説します。
従来の点検方法が抱えていた「3つの限界」と現場の苦悩
これまで私たちの現場では、主に「レーザー温度計(放射温度計)」を用いた測定や、熟練作業者が配管に直接(あるいは保護手袋越しに)触れて温度を確認する「触診」に近い方法が一般的に行われていました。これらの方法は手軽である反面、以下のような3つの大きな限界に直面していました。
① 「点」での測定による限界と状態判断の難しさ
従来の主流であったレーザー温度計は、狙ったスポットの温度を瞬時に測定できる便利なツールです。しかし、これはあくまで「点(スポット)」の測定に過ぎません。 例えば、数メートルから数十メートルに及ぶ配管ラインにおいて、一部分だけをピンポイントで測定しても、配管全体の熱の広がりや温度分布を把握することは不可能です。「測定したポイントは正常な温度だが、そこから数十センチずれた場所で詰まりが発生している」といったケースでは、異常を見落としてしまうリスクが常に付きまとっていました。設備全体の状態を正確に判断するには、点で測る従来の方法では限界があったのです。
② 作業者の「経験と感覚」への依存(技術承継の壁)
触診やレーザー温度計のデータをどう解釈するかは、最終的には作業者の「経験」や「感覚」に委ねられる場面が少なくありませんでした。 ベテラン作業者であれば、「この季節でこの触り心地なら、内部の蒸気はしっかり通っている」「いつもより少しぬるいから異常の兆候だ」といった精度の高い推測が可能ですが、若手や経験の浅い作業者ではその微小な変化に気づくことができません。結果として、作業者によって判断結果にバラつきが生じ、点検の品質が属人化するという課題を抱えていました。また、こうした感覚的なノウハウは言語化・数値化しにくいため、次世代への技術承継を阻む大きな壁にもなっていました。
③ 高温設備への接触に伴う「安全上のリスク」
安全第一が叫ばれる現代のモノづくり現場において、最も見過ごせなかったのが「火傷(やけど)のリスク」です。 蒸気ラインや高温のプロセス配管は、時に100℃から200℃を超える高温になります。レーザー温度計を使う場合でも、測定箇所に近づく必要があったり、狭所での作業中に誤って周囲の高温配管に接触してしまったりする危険性が常に潜んでいます。定量的かつ安全に、リスクを冒さずに温度を測定できる仕組みづくりが強く求められていました。
なぜ「FLIR Edge」なのか? 機器選定の理由と概要
これらの課題を抜本的に解決するため、私たちが注目したのが「サーモグラフィ(熱画像)技術」です。温度を数値として捉えるだけでなく、「熱を視覚化(画像化)」することで、誰が見ても一目で異常がわかる環境を作ろうと考えました。
数あるサーモカメラの中から、今回私たちが選定したのが、携帯型サーモカメラ「FLIR Edge(フリアー・エッジ)」です。

スマートフォンやタブレットとワイヤレス(Wi-Fi/Bluetooth)で接続し、モバイル端末の画面を高性能なモニターとして活用する、新世代の超コンパクト熱画像カメラです。私たちが数ある業務用サーモグラフィの中から、あえてこの「FLIR Edge」を選んだのには、主に4つの理由があります。
1) スマートフォンとのワイヤレス連携による圧倒的な操作性
従来の業務用サーモグラフィは、カメラ本体にディスプレイや操作ボタンが一体化しているものが多く、機器自体が大きく重くなりがちでした。一方、FLIR Edgeはスマートフォンの専用アプリとワイヤレスで連動するため、カメラ本体には余計な画面がありません。スマホの高性能なディスプレイをそのまま利用できるため、画面が見やすく、タッチパネルによる操作も直感的で、スマートフォンの操作に慣れた現代の作業者にとって非常に馴染みやすいものでした。
2) 現場での携行性を極めたコンパクト設計と柔軟な撮影スタイル
頑丈なクリップ一体型のデザインを採用しており、スマートフォンに直接取り付けて一体型カメラのように使うこともできれば、カメラだけを片手に持ち、もう片方の手のスマホ画面で確認するという「セパレートスタイル」での測定も可能です。

このセパレートスタイルにより、配電盤の奥まった箇所や、人間が頭を入れにくい狭い隙間配管など、従来の形状では測定が困難だった場所でも、カメラを持つ手を伸ばすだけで安全かつ容易に熱画像を取得できるようになりました。
3) 優れたコストパフォーマンス(全社・全チーム展開への布石)
従来の高性能なプラント用サーモグラフィは、1台あたり数十万から数百万円することも珍しくありません。そのため、「保全課に1台だけ保管してあり、異常が疑われるときだけ持ち出す」という運用になりがちでした。しかし、FLIR Edgeは比較的低コストで導入できるため、各現場のチームや点検グループごとに「1人1台」に近い感覚で配備することが可能です。日常点検のツールとして定着させるためには、このコストパフォーマンスが不可欠でした。
現場での性能評価テスト:実用的な精度の検証
いくら機能が優れていてコンパクトであっても、測定される温度のデータが不正確であれば、プロの保全現場では使い物になりません。そこで私たちは導入に先立ち、現場のリアルな環境下で、既存の各種温度測定機器との「比較性能評価テスト」を実施しました。
比較検証に使用した4種類の機器
- ① FLIR Edge(今回の導入検討機器)
- ② 所内貸出サーモカメラ(従来から社内にある高額・大型の据え置き型サーモカメラ)
- ③ 接触式温度計(TC-350A)(配管表面にセンサーを直接押し当てる、最も確実とされる基準器)
- ④ レーザー温度計(手軽だが点で測定する放射温度計)
測定実験のデータと詳細分析
実際のプラント内から、温度帯や材質、用途が異なるポイントを選定し、それぞれの機器で同時に測定を行いました。検証結果のスライド一覧は以下の通りです。

◆ 驚くべき高温域での追従性と正確性
「0.5MSトレス配管(スチームトラップ箇所など)」の測定において、非常に興味深い結果が出ました。基準となる接触式温度計が122.2℃を示したのに対し、FLIR Edgeは163℃を記録しました。一見すると乖離があるように見えますが、実は接触式温度計は「配管の丸みに対してセンサーが完全に密着しきれず、周囲の空気で冷やされて低めに出てしまう(測定誤差)」という特性があります。 FLIR Edgeは、配管表面から放射される熱エネルギーを正しくキャッチしており、むしろ既存のレーザー温度計(110.3℃)や接触式温度計よりも「実態に近い正確な温度」を捉えている可能性が高いことが分かりました。

◆ 常温〜中温域での高い一致度
「フラッシュタンク配管(43℃)」や「冷凍機CW配管(22.6℃)」といった領域においては、接触式温度計との差がわずか「0.5℃前後」という極めて高い精度を示しました。この結果から、日常的な設備の異常発熱(モーターの軸受の過熱や配管の緩やかな詰まり)を検知する目的において、FLIR Edgeは実用上十分すぎるほどの精度を持っていると確信できました。
サーモカメラ運用における「技術的落とし穴」と現場での具体的対策
性能評価テストを通じて、FLIR Edgeのポテンシャルの高さが実証された一方で、サーモカメラという測定器が持つ「物理的な特性と弱点」も明確になりました。それが「放射率(Emissivity)」の問題です。
⚠️ 光沢金属(SUSなど)がもたらす測定誤差のメカニズム
サーモカメラは、物体が自ら放射している赤外線を検知して温度を計算しています。しかし、ステンレス(SUS)やアルミなどの「光沢のある未塗装の金属表面」は、赤外線を放射しにくい(放射率が低い)という性質を持っています。それだけでなく、まるで鏡のように「周囲の他の熱源」を反射してしまうため、カメラには実際の温度よりも低い数値が表示されたり、逆に周囲の熱を拾って異常な数値を表示したりします。
今回の検証データを見ても、「 SUS面」において、対策を行っていないテープ外の箇所では、接触式温度計が17.6℃であるのに対し、FLIR Edgeは22℃(判定:△)と、環境の反射影響を受けて誤差が生じています。
🛠️ 現場で実践した「標準化対策」
この落とし穴を回避し、誰が使っても正しいデータを取得できるようにするため、私たちは以下の運用ルールを策定しました。
- 測定箇所への「パイオランテープ(黒色遮蔽テープ等)」の貼付 光沢のあるSUS配管の測定部位には、あらかじめ放射率が安定しているテープを貼り付けました。このテープの上からサーモカメラで狙う(パイオランテープ箇所)ことにより、金属の反射影響をシャットアウトし、正確な熱画像を取得できるようになります。データが示す通り、テープ貼付後は「18.3℃」となり、接触式の「17.8℃」とほぼ一致する極めて高い信頼性を確保できました。
- 測定ポイントの統一とダブルチェック 測定するアングルや距離を常に一定に保つようマニュアル化し、数値に違和感がある場合は必ず接触式温度計で確認するフローを徹底しました。
活用シーンは無限大:現場で広がる具体的なユースケース
FLIR Edgeの導入により、これまで確認に時間がかかっていた様々なシーンで業務の効率化と高度化が進んでいます。
① トレス・プロセス配管の「通気・詰まり」の瞬時判定
従来の点検では、長い配管を数メートルおきにレーザー温度計で測っていましたが、今ではFLIR Edgeをかざしながら配管に沿って歩くだけです。正常に通気していれば画面全体が均一に光りますが、内部で詰まりが生じて流体が流れていない場所は、そこから先が急激に色を変えます。「熱の境界線」がビジュアルとして浮き上がってくるため、異常箇所の特定スピードが何倍にも跳ね上がりました。
② 回転機器や配電盤の「異常発熱」の早期発見
モーターやポンプの軸受の過熱、配電盤の端子部の緩みによる局所的な発熱など、目視では絶対に分からない「目に見えない熱」を焼き付きを起こす前の予兆段階でキャッチできるようになりました。
③ 設備保全報告書・改善提案の「説得力」が爆上がり
これまでは、点検で異常を見つけても、上司への報告は「〇〇番の配管が、いつもより結構熱くなっていました」といった、主観的で曖昧な表現にならざるを得ませんでした。 しかしFLIR Edge導入後は、スマホで撮影した「異常箇所が鮮明に色分けされた熱画像(最高温度の数値付き)」を、そのまま報告書に添付できます。まさに「百聞は一見に如かず」であり、客観的なデータがあることで修繕への意思決定スピードが劇的に向上しました。
導入によってもたらされた「4つの大きな効果」
- 安全性の向上: 非接触で温度確認ができるため、現場の火傷リスクを大幅に低減。
- 判断基準の標準化: 個人の経験や感覚に依存した判断から、画像による客観的な評価へ移行。新人もベテラン同等の判断が可能に。
- 点検品質の向上: 設備全体を「面」で捉えるため、微小な異常や見落としが激減。
- 記録業務の効率化: スマホで撮影した熱画像をそのまま報告書に添付。帰社後の書類作成負担を軽減。
🚨 運用上の注意事項
FLIR Edgeは非常に便利な機器ですが、「非防爆仕様」です。 化学プラントなどの危険エリアで使用する際は、必ず事前にガス検知器を携帯して周囲の安全を確認するなど、所定の安全ルールと手続きを徹底することが大前提となります。
まとめ:「温度を測る」から「熱を見える化する」現場DXへ
携帯型サーモカメラ「FLIR Edge」の導入は、当現場における設備保全のあり方を大きく変える契機となりました。これまでの「経験と感覚に頼るアナログな点検」から脱却し、「画像とデータに基づいた客観的かつ安全なデジタル点検」へとシフトすることができたのは、現場のDXを推進する上で象徴的な成功事例と言えます。
今後はトレス点検だけでなく、設備保全や異常診断のポータブルな相棒として、さらに幅広い用途へ展開していく予定です。皆さまの現場でも、一歩進んだ「熱の見える化」、始めてみませんか?
それでは、本日も一日ご安全に!


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